Tuesday, September 3, 2013

主を知るとは?!

士師記2;10「その 同世代の 者もみな, その 先祖のもとに 集められたが, 彼らのあとに, 主を 知らず, また,主がイスラエルのためにされたわざも 知らないほかの世代が起こった.」 (QT聖書本文1-10)ヨシュアとヨシュアと一緒にいた長老たち(7節:主がイスラエルのためになされた大きなみわざをみた)が生きている間は、イスラエルは主に仕えました。しかし、彼らの後、主を知らず、主がなされたみわざを知らない人々が起こった、とあります。主を知らないとはどういうことでしょうか?神様を知らない、ということでしょうか?まったく信じていない、とか聞いてもいないということでしょうか?黙想しました。私は神様を唯一の私の主としない、と言うことでないか?と思いました。それは、人生の主人である神様以外に、快楽や自分の楽しみ、自分の力や他に頼るものを作ることでないか?と思いました。文字通りに神様を知らないわけがありません。聞いたはずですし、ヨシュア記でも、子孫のために信仰の記念碑を作っています。私にとって、主なる神様を知ること、主なる神様がイスラエルのために奇跡をなされたことを見たことがない、とはどういうことでしょうか?それは、人生の主人なる神様をお迎えしていないことです。また、その神様を次世代が人生の中で体験するように教え、伝え、証しすることです。主を知るとは、私の人生の主人であること、その方が私の人生の全てを満たし、奇跡をなされ、大きなみわざを体験することです。主を知る一日を体験していきます。義人は信仰によって生きる。神様の力、十字架によって歩んでいきます。主よ、導いてください。

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