Monday, September 2, 2013

不純物と同居していないか?

士師1;30(QT聖書箇所22-36節)ヨシュアの死後、イスラエルの民は約束の地をとり
に行きます。しかし、今日の聖書箇所では、ユダ部族以外のイスラエルの部族(エフライム、ゼブルン、ナフタリ、アシュルン)はカナンの民族を征服できず、彼らが住み通したり、彼らを苦役に服させても、カナンの民が残ることが起こります。ダンにいたっては彼らに圧迫されて山地へ追いやれます。何故、彼らは聖絶したり、他部族と協力してカナンの民を追い出せなかったのでしょう。また、追い出さず、聖絶しなかったことの結果は何でしょう?それは、イスラエルの民は受けてはいけない世の中の文化を受けて堕落したり、カナンの宗教の影響を受けて子供をささげたり、性的な堕落へ(アシュルなど、豊穣を意味する偶像の神殿では性的な堕落をもってきました)性の乱れは、生き方の乱れをもってきます。聖地旅行の中で偶像礼拝の危険さ、またそこへ神様の裁きをレクチャーを受けました。また、社会的、国家的にもイスラエルは支配されたり、攻撃され続ける影響を受けるようになります。時間が掛かっても、たとえ、現実的に難しくても、カナンの支配を追い出さないといけなかったのです。罪を不純物を除去しないといけなかったのです。そうでないと最終的に大変なことになるのです。今日、私が受けるべき霊的な教訓は何でしょうか?それは、私の中の不純物を同居しているのものを除去しろ、ということです。日ごとに追い出さないとすぐに影響を受けて、知らないうちに占拠されてしまいます。これくらいいいじゃないか?仕方ないじゃない、という誘惑があります。今日、主の助けをもらって不純物、人への人間な依存、罪を除去していきます。主イエス・キリストの十字架を見上げていきます。

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