BE FAITHFUL BECAUSE(ヨハネの黙示録2章1-11節)エペソの教会とスミルナの教会への神様のメッセージがあります。エペソの教会は、労苦、忍耐、行い、偽使徒を見破る、疲れることも無かった、とあります。すごい教会です。ところが、初めの愛からはなれてしてまった、そのために教会のLAMPSTANDをはずす、と言われます。自分たちならどうでしょう、不足が無い、と思うのでないでしょうか。スミルナ教会には、貧しく、苦しみがあり、ユダヤ人と偽証していサタンの会衆にののしられています。それを治める力、見破る力は無かったのでしょう、また迫害の中にあり、10間の苦しみにあう、と言います。それを救うでなくて、神様は死にいたるまで忠実でありなさいい、命の冠りを与えよう、第二の死で損なわれない、と言われます。スミルナの教会は力は無く、行いもなく、貧しかったし、迫害を受けた教会であったけど、RICHであったのです、迫害されて殉教するほど、イエスを愛していたのです。私たちならどうでしょう?勢いのある教会、人数の集まる教会に人は惹かれるのでないでしょうか?しかし、神様のみられる、評価されうポイントは違います。イエスを愛して、死に至るほど忠実であるのか?ということです。私の目の前に時々、福音を伝えるために迫害があります。しかし、主に与えられた福音のために、苦難あっても、貧しくても、信仰にあって豊かなもの、約束を信じて歩むクリスチャンになろうと思います。
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