36節「 ですから, イスラエル のすべての人々は, このことをはっきりと 知らなければなりません. すなわち,神が,今や主とも キリスト ともされたこの イエス を, あなたがたは 十字架につけたのです. 」 |
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Saturday, June 8, 2013
神様のプレゼントを壊した私たちにさえも
使徒行伝2;25節「ダビデ はこの 方について, こう 言っています. 『私はいつも, 自分の 目の 前に 主を 見ていた.主は,私が動かされないように,私の右におられるからである.」26節「 それゆえ, 私の 心は楽しみ,私の舌は大いに喜んだ. さらに私の肉体も望みの中に 安らう.」27節「あなたは 私のたましいを ハデス に 捨てて 置かず, あなたの 聖者が 朽ち 果てるのをお 許しにならないからである. 」28節「あなたは, 私にいのちの 道を 知らせ, 御顔を 示して, 私を 喜びで満たしてくださる.』
今日は3つのメッセージが一人の人についてあります。それは、ナザレ人イエスとは誰か!?です。①神様の計画の中で、イエスはこの地に来られて、不法な者に〈イスラエルの宗教指導者、群集、私たち)十字架にかけて殺した。②24節、しかし、神様はイエスを復活させた。③ダビデは預言者として「自分に与えられた永遠のメシア、主なるイエス」を預言しました。しかし、そんな神様の最高の愛の計画であるイエスを十字架にかけたのは、私たち、私なのです。ペテロたち、弟子たちは聖霊が下るまで、神様の事を証言するのを恐れていました。しかし、聖霊様が下って以来に、旧約聖書から約束の神様の子イエス、ダビデがメシアとしてこられる方イエスを語り、そのイエスを十字架にかけたのはあなたである、私たち弟子はその証人である、と語りました。恐れから開放されて、かえってイエスの福音をまっすぐに語るようになったのです。イエスの苦しみのために、私たちは神様に出会うことが出来ました。神様のプレゼントをこっわした私たちにさえ、神様に会う祝福があったのです。主を賛美します。
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