29節「主よ. いま 彼らの脅かしをご 覽になり, あなたのしもべたちにみことばを大胆に 語らせてください. 30節「御手を 伸ばしていやしを 行なわせ, あなたの 聖なるしもべイエス の 御名によって, しるしと 不思議なわざを 行なわせてください. 」 31節「彼らがこう祈ると, その集まっていた場所が震 動き,一同は聖霊に満たされ ,神のことばを大胆 に語りだした.32節「 信じた 者の 群れは, 心と 思いを 一つにして, だれひとりその 持ち 物を 自分のものと 言わず,すべてを共有にしていた.33節「 使徒たちは,主イエスの復活を非常に力強くあかしし, 大きな恵がそのすべての者の上にあった. 今朝の御言葉を聞きながら思わされたのは、教会と言う文化に慣れたり、教会生活と言う生活になれない信仰生活をしたい、と思いました。初代教会は常にリバイバルや奇跡が起こっています。でも、それは迫害のない中でなくて、またイスラエルの内部からの攻撃がありつつも、いつも祈る中で、聖霊様が励まし、力を与える中で、力強く信仰してきました。力強く、福音だけを宣教し、一致し、共同体になり、救われる人が起こされていきました。私はどうでしょうか?私たちの教会はどうでしょうか?初代教会のように燃えて宣教しているのでしょうか?燃えて迫害されても祈っているのでしょうか?燃えているところに迫害や攻撃がるのは当然です。しかし、そこで祈って神様の事件を体験しているのでしょうか?それとも、既に教会と言う文化になれた生活をしているのでしょうか?21世紀のアメリカでも日本でも、世界でも神様の事件を体験したいと思っているのでしょうか?文化でなくて、生きたイエスを賛美し、祈り、宣教し、教会の共同体を形成していきます。 |
北米LAカウンティトーランス(TORRANCE)にある日系ジュビリー教会のブログです Add:19950 mariner ave #208 Torrance california90503 USA 礼拝時間:日曜日午後1時から 連絡先:minoru@sarang.org
Friday, June 14, 2013
燃えてる教会は、人は神様の事件を経験する。
使徒行伝4;29-33、
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