ハガイ2;12-15、12節「もし 人が聖なる肉を自分の着物のすそで運ぶとき,そのすそがパンや煮物,ぶどう酒や油,またどんな食物にでも触れたなら,それは聖なるものとなるか. 」祭司たちは 答えて「否.」と言った. 13節「そこでハガイは言った. 「もし 死體によって 汚れた 人が, これらのどれにでも 觸れたなら,それは 汚れるか. 」祭司たちは 答えて「汚れる. 」と 言った. 14節「ハガイ はそれに 應じて 言った. 「わたしにとっては, この 民はそのようなものだ.この国もそのようである. ··主の 御告げ. ··彼らの 手で 作ったすべての 物もそのようだ. 彼らがそこにささげる 物, それは汚れている. 15節さあ,今,あなたがたは,きょうから 後のことをよく 考えよ. 主の 神殿で石が 積み 重ねられる 前は,」
主の願われることは、私たちとの関係です、愛する関係です。そしてもちろん、聖い関係です。愛する関係も、主イエスがみずから先に、十字架にかかってくださったことから始まっています。それは何よりも罪を一つも受け入れることが出来ない神様に、十字架の血潮で清めてくださったことから始まるのです。今日、神殿建築をするイスラエルの民に言われます。教会建築〈霊的に、実際的に〉私たちに言われます「あなたはきよいのか?」と。神様の願いは仕事でなくて、私のたちの人生、人格が変わること、神様と交わるものになることです。それなしに奉仕するなら、仕事をするなら、大変なことになります。祝福がのろいになります。それは大変な落とし穴になります。神殿の石を築いただけに、大きな祝福がありました。礼拝を先にするだけで大きな祝福が来ます。しかし、御言葉を、律法を、神様のルールを知りながらも、生活は変わっていなかったのです。私たちはどうでしょうか?神様は愛しているから、あなたが変わるのを臨まれます。私が変わるのを臨まれます、主イエスの働きの前に聖書を読みます、祈ります。主の前にチャンジングライフをされていきます。
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