Tuesday, April 23, 2013

リーダーシップは正しい方向性へ導くこと


創世記47:23-31
「ヨセフは、民に言った。私は今、あなたがたとあなた方の土地を買い取って、パロのものとしたのだから。さあ、ここにあなたがたの種がある。これを地に蒔かなかければならない」
「収穫の時になったら、その5分の一はパロに納め、5分の四はあなたがたのものとし、畑の種のため、またあなたがたの食料のため、またあなたがたの家族のため者のため、またあなたがたおさない子供のため、食料とならなければならない」
ヨセフは、飢饉が終了したときに、その後の回復の方法を具体的に持っていました。まさに、理想的なリーダーシップでないでしょうか!危機が過ぎ去った後に、その後の回復プログラムを持っている、なかなか出来ないことでないでしょうか?パロに貢献しつつも、エジプトの国に決定的な貢献をしつつも(土地を外国王朝のものにする、外国王朝の支配を人々を奴隷にする、という決定的な支配権の強さを与える)、それで終わらずに、愛をもって、人々へ、家族へ、町へ、国へ、未来を見せる、目的や方向性を与える。それに対して、民の反応はどうでしょうか?
25節「すると、彼らは言った。あなたさまは私たちを生かしてくださいました。私たちは、あなたの恵をいただいてパロの奴隷となりましょう」人々に感謝されるリーダーへの反応です、自らが進んで、仕える、仕えたくなるリーダーの姿勢です。こんなリーダーはいるでしょうか?さらにもっと素晴らしいのは、ヨセフが最終権威者でなくて、この国の王であるパロへ権威を帰していることです。自分のポジションを守っていることです。これは本当に会えないリーダーの姿勢でないしょうか。この姿勢、心はどこから来るのでしょうか?それは、ヤコブの死を備えるところから来ます。「どうか、私をエジプトの地に葬らないで、~眠りについたなら、私をエジプトから運びだして、先祖たちの墓に葬ってくれ」彼の基礎は、土台はエジプトでいかに子孫が増えて、祝福されて神様のルーツにあったところです。神様の基準で生きるリーダーでしょうか?’私の基準、基礎は、価値はどこにあるのでしょうか?神様に従うリーダーに良い基準、順序、が来ます。私の霊的生活をルーティンを立て直します。しばらくセミナーや外部の奉仕が続きましたが、さらに神様のQT,早朝祈祷を立て直します。主にあるリーダー、ヨセフになっていきます。

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