創世記49;3-4「ルベンよ、あなたは我が長子。我が力、我が初めの実、すぐれた威厳と優れた力のある者。だが、水のように奔放なので、もはや、あなたは他をしのぐことがない、あなたは父の床に上り、そのとき、あなたは汚したのだ。彼は私の寝床に上った」
今日の聖書箇所は、息子たちを祝福する箇所です。しかし、もっともいたい話から入り、続きます。それは、ルベンが能力のある息子であり、自慢すべき息子であったにもかかわらず、「父の寝床を汚した」という、もっともおぞましい、最悪のことが書かれています。聖書は正直に、事実を書きます。それは、人の罪です。また、聖書の言うことは「能力があっても、長子であっても、罪に支配されるなら、それは神様の悲しまれることである」ことです、私たちは勘違いしやすいことがあります。それは、影響力のある人、力のある人、頭のいい人、そういう人をすごいと思います。それは、教会の中でもそうかも知れません。説教の上手な牧師、影響力のあるリーダー、能力のある~など。しかし、神様に用いられることは主にある誠実さである、と思います。人間には、用いられても、一時的には用いられても、主にある忠誠、愛が神様に用いられ続ける、祝福を受けるKEYであると思います。また、今日の聖書箇所には「シメオンとレビ」について、6節「怒りに任せて人を殺し、ほしいままに、牛の足の筋を切った」とあります。自分の欲しいまま、感情のままに動く人も用いられないものです、セルフコントロールが必要です。私にとって、セルフコントロールすることは何でしょうか?平和な人間関係であったり、時間管理でないでしょうか。聖霊様の支配がまさに必要な部分でないでしょうか?と言うよりも、なくては生きていけない、憐れんでください、という部分であると思います!私は!主にある律儀者になっていきます。
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