Saturday, July 5, 2014

宗教行為よりイエスについていくことが大事だ!

7月5日のQT,宗教行為よりイエスについていくことが大事だ!(マルコの福音書)14節「イエスは、道を通りながら、アルパヨの子レビが収税所に座っているのをご覧になって、私についてきなさい、と言われた。すると、彼は立ち上がって従った」、18節「ヨハネの弟子たちはとパリサイ人たちは断食していた。そして、イエスの元に来ていった。ヨハネの弟子たちやパリサイ人の弟子たちは断食するのに、あなたの弟子たちはなぜ断食しないのですか?」パリサイ人や律法学者たちとイエスたちは対照的でした。宗教学者たちは、一所懸命律法を守り、宗教行為を行いました。聖く生きようとしました。しかし、そこには神様が共にいる宗教生活、もしくは?信仰生活?ではありませんでした。信仰生活は、神様と話すことです。イエスを信じるとは、永遠の命を受けたとは、イエスと永遠に生きることです。それは、宗教行為と違います。生きた人生です。宗教行為も、素晴らしく律法を守ることも、神様と共にいないと意味がありません。もしくは、リビングライフの解説に書いてあるように、「結局は、自分の義と高慢のために神様に敵対する者」になっていましったのです。レビはイエスに呼ばれて自分の罪や今までの人生を下ろして、「ただ、、無条件に従いました」イエスについていったのです。そのレビは、自分と同じ収税人の人々や、罪びと、と言われる人を招いて、大パーティーをして伝道パーティをしました。それを見て、人々は裁きました。しかし、誰か一人でも、その彼ら収税人や罪びとへ伝道したのでしょうか?裁いていた、関わらないでいたのでないでしょうか?レビはイエスについていった喜びで、今まで探していた自分の人生、お金や成功、そして収税人になってまで生きていたことで満たされないことを満たされた喜びは、溢れて人々へ伝道をしました。今日、この人は駄目だとか、?でなくてあきらめずに伝道し、祈っていき、仕えます、主に従わせてください()

No comments:

Post a Comment