キリストの十字架の道を歩む人生(ヨハネの黙示録6;9ー17)ヨハネの黙示録で、①神様の言葉のために殉教したり、②あかしのために殉教した人々の魂が、神様の祭壇の下で叫びます、いつまで血の復讐をなさらないのですか?神様は白い頃も与えながら、言われます。その数が満ちるまで休んでいなさい、と。主のさば気が来ないのは、恵みです、救われていない人々へ福音を伝える時間をくださっているのです、福音を信じ受けれいる人をくださっているのです、そして、とうとう裁きの日が来る日には誰も、この地上に安全を探すことが出来ません。どれほど怖い日でしょうか。私はその日に向かって、どんな準備、心で歩んでいくのでしょうか?わざわいに向かって恐れを持って歩むのでしょうか?それとも、神様の言葉の証のために日ごとにカルバリの十字架のイエスと共に歩むのでしょうか?今朝、私は黙想しました。私には迫害、という目の前にないように思えるかもしれません、しかし、日ごとの苦難はあります。福音を伝えるための攻撃、妨害、があります。とても、迫害を受けて殉教をした先輩方と比較は出来ません。しかし、小さい苦難の中でも、日ごとに主のために、キリストの十字架を歩んで福音を伝えて歩んでいきます。
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