神様の時を喜び生きるのか(ヨハネの黙示録18:9-24)神様が大バビロン、罪と堕落の象徴、神様と離反して繁栄し栄るなかで、とうとう裁きが下る瞬間が、今日のQT聖書箇所です。①不品行を来ない、権力を持っていた世の王たちも(10節)、②地上の商人たちも、、もはや彼らの商品を誰も買うことがなくなり(11節)、③人間的な計算だけで、自分の望みであったものも、もはや実を結ぶことがなく、14節、④世の富や、飾りを自分の誇りにしたものも、崩れ去ります、16節。⑤おごりをもうたれます、19節。その時に、20節「神はあなた方のために、この都の裁きに宣告されるからです」果たして、私は主の裁きの日に喜びを持てる人でしょうか?果たして、私は24節の殉教者たちの血に神様が答えて、裁きをされるときまで、信仰持って従い続けている人でしょうか。①不品行や罪によって、関わることで成功を得ることに恐れを持っているでしょうか?本当に神様だけを恐れているのでしょうか?②自分の生活すること、ビジネスだからといって、生活の必要だからと言ってしてはいけない妥協をしていないでしょうか?③神様抜きの望み、計算をしていないでしょうか?罪関わる人は利用し、大変な時は逃げます。④自分の力や富を頼っていないでしょうか?⑤一瞬のうちに罪は消えます、逆に神様のBLESSINGは永遠です。その神様と日ごとに生きているでしょうか。祈り(日常の祈り、早朝の祈り。特別祈祷)、みことばを(学び、あかし、伝道し、BIBLE STUDY)尽くしているのでしょうか。神様に従って純潔に生きているでしょうか。そして、主の日が来る時に喜べるときを生きているのでしょうか。今日、主を喜び歩みます。
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