14:13 こういうわけですから、異言を語る者は、それを解き明かすことができるように祈りなさい。14:14 もし私が異言で祈るなら、私の霊は祈るが、私の知性は実を結ばないのです。14:15 ではどうすればよいのでしょう。私は霊において祈り、また知性においても祈りましょう。霊において賛美し、また知性においても賛美しましょう。14:16 そうでないと、あなたが霊において祝福しても、異言を知らない人々の座席に着いている人は、あなたの言っていることがわからないのですから、あなたの感謝について、どうしてアーメンと言えるでしょう。14:17 あなたの感謝は結構ですが、他の人の徳を高めることはできません
パウロは、異言で霊的に高く祈ることが、素晴らしくても、物事には大人でありなさい、常識を持って、節度を持って、秩序を持って、しなさい。と言います。それは、解き明かしをする人がいないのに、異言でいのって、自分はよくても、周りが理解できなかったどうでしょう?NON BELIEVERSがきたら、意味がわからない、と言います、何よりも、彼らが罪を悔い改め、神様の前にひれ伏すこと、イエスの出会いに出会うことが大事なのに、違うでしょ、判断できるでしょ、というのです。果たして、私は、私たちは、ただ主の栄光のためだけに使え、奉仕し、歩んで、生きているでしょうか?自分の栄光、主張のためにしていないでしょうか?今日、ただ主の栄光のためだけに準備し、奉仕します。
No comments:
Post a Comment