Saturday, February 3, 2018

パウロが言うくらいなのに、

14:16 そうでないと、あなたが霊において祝福しても、異言を知らない人々の座席に着いている人は、あなたの言っていることがわからないのですから、あなたの感謝について、どうしてアーメンと言えるでしょう。14:17 あなたの感謝は結構ですが、他の人の徳を高めることはできません。14:18 私は、あなたがたのだれよりも多くの異言を話すことを神に感謝していますが、
14:19 教会では、異言で一万語話すよりは、ほかの人を教えるために、私の知性を用いて五つのことばを話したいのです。14:20 兄弟たち。物の考え方において子どもであってはなりません。悪事においては幼子でありなさい。しかし考え方においてはおとなになりなさい。
14:21 律法にこう書いてあります。「『わたしは、異なった舌により、異国の人のくちびるによってこの民に語るが、彼らはなおわたしの言うことを聞き入れない。』と主は言われる。」

パウロは、ほかの誰よりも、異言をしゃべり、祈ることができました、霊性の言われるもなく、高いわけです、しかし、そのパウロが1万語の異言より、FUVE INTELLIGIBLE WORDSで話したい、というのです。それは、心構えです、私たちは自慢したいのでしょうか?認められたいのでしょうか?ならば、ゆれない、絶対的な神様に認められるべきです、神様にほめられることが、もっと大事です。それは、BUILD UP教会をしていくことです。使徒が言うくらいなのに、私たちならどうでしょうか?私たちも、パウロのように、いいえ、主が使えたように使えて生きましょう。

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