Thursday, September 8, 2016

自分を何のために使うのか?(ローマ人への手紙6章12-23節)


6:12 ですから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従ってはいけません。6:13 また、あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者として、あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。6:14 というのは、罪はあなたがたを支配することがないからです。なぜなら、あなたがたは律法の下にはなく、恵みの下にあるからです。
6:15 それではどうなのでしょう。私たちは、律法の下にではなく、恵みの下にあるのだから罪を犯そう、ということになるのでしょうか。絶対にそんなことはありません。
6:16 あなたがたはこのことを知らないのですか。あなたがたが自分の身をささげて奴隷として服従すれば、その服従する相手の奴隷であって、あるいは罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至るのです。6:17 神に感謝すべきことには、あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規準に心から服従し、
6:18 罪から解放されて、義の奴隷となったのです。6:19 あなたがたにある肉の弱さのために、私は人間的な言い方をしています。あなたがたは、以前は自分の手足を汚れと不法の奴隷としてささげて、不法に進みましたが、今は、その手足を義の奴隷としてささげて、聖潔に進みなさい。6:20 罪の奴隷であった時は、あなたがたは義については、自由にふるまっていました。6:21 その当時、今ではあなたがたが恥じているそのようなものから、何か良い実を得たでしょうか。それらのものの行き着く所は死です。6:22 しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです。6:23 罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

使徒パウロは、あなたがたの体を罪の支配にゆだねるな、情欲に従うな!と言います。そして、あなたがたの人生を不義の器として罪にささげるな、と言います。神様によって死から救われたものとして、義の器として神様にささげなさい、と言います、命令します。私たちは、せっかく死から救われた人生を何に使うのでしょう?救われた、与えられた、人生という時間を、何のために、GOALはどこに向かって走るのでしょう? 恵みの下にあるのだから、罪を犯してもいい、という好き勝手な生き方、自由奔坊な生き方でなくて、間違ったご都合主義のリベラルな人生なくて、神様に与えられた、せっかくのチャンスを、主イエスのために生きよう、義のために歩もう、といわれます。罪の奴隷であること、生きることの結果は死です。しかし、義の、神様の奴隷にいくつくところは聖潔であり、永遠の命です、どちらを選ぶのがいいのかは明らか、です。今日、神様のために喜んで、義の奴隷として、福音をもって使えます、伝道し、生活の場で証をしていきます。主よ、用いてください。

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