Wednesday, May 8, 2013

霊的な指導者への尊敬と罪への恐れ


第一テモテ5;17「よく指導の任に当たっている長老は、二十に尊敬を受けるにふさわしいとしなさい。御言葉と教えのためにほねを負っている長老は特にそうです」18節「働き手が報酬を受けるのは当然である」今朝のQT箇所は、霊的指導者への尊敬を語っています。御言葉を教えるとはPREACHINGのことであり、教えとはTEACHのことかな、と思いました。労をとるリーダーとして私は「よく指導の任」にあたっているでしょうか?本当に恥ずかしい次第だと思いました。未だに難しい状態で、もっと準備が必要であると思いました。また、何よりも今日私の心に与えられたのは18節「聖書に穀物をこなしている牛に、くつこを掛けてはいけない、「働き手が報酬を受けるのは当然である」という部分です。私にとって経済的にも厳しい時、時間的には非常に厳しい時期を過ごしました。その中で、このような恵みがあるのは大きいことです。また、それに相応しく、指導の任に当たらないといけない、と思いました。聖書研究を教えること、自分の恵をもって仕えて生きたい、と思います。自分では不足でないか、心配になることがありました。聖書のPREACHINGは高慢ではいけませんが、自信をもって奉仕をして来ました。でも、聖書研究などはどうか?と思うことがありました。日々、神様の前に出て恵みを受けて、聖書研究を準備していきます。また、さらに謙遜に学びの時をもって行きたい、と思います。神様、私を憐れんでくださいさらに仕えて学び、準備していきます

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